七味温泉 〜 牧 〜 樋沢川 〜 黒部 〜 城山 〜 赤和観音 〜 久保 〜 水中 〜 高社神社 〜 (徒歩、約10Km 4時間位) ※しだれ桜や、りんごの花咲く時期(4月中旬〜5月末頃)がお勧めです。 案 内:(トレッキング)地元の道おしえの会の方々がご案内致します 昼 食:トレッキング時のお弁当お茶の手配は旅館でお手配致します。(有料) 参加料:お一人様1,000円(保険料、案内代込)
七味温泉 〜 牧 〜 樋沢川 〜 黒部 〜 城山 〜 赤和観音 〜 久保 〜 水中 〜 高社神社 〜 (徒歩、約10Km 4時間位)
※しだれ桜や、りんごの花咲く時期(4月中旬〜5月末頃)がお勧めです。
案 内:(トレッキング)地元の道おしえの会の方々がご案内致します
昼 食:トレッキング時のお弁当お茶の手配は旅館でお手配致します。(有料)
参加料:お一人様1,000円(保険料、案内代込)
帰還路の物語
武田信玄を打ち損じた上杉謙信は、乱戦のなかで、郎等どもにはぐれ、従う者はわずかに和田喜兵衛、宇野左馬之助、和田兵部の三名のみに、主従四人は、夕日が川中島の山に沈みかけた午後五時近く、千曲の馬場ヶ瀬を渡り、対岸牧島の川辺に着いた。これを見た武田の軍勢は謙信とも知らずよき敵逃がさじと大勢で攻め寄せた。 宇野、和田兵部、両人は、川岸に踏み留まって、今はこれまで、最後のご奉公と懸命に戦ったが、和田兵部は力尽きて相果てた。宇野は大太刀を水車のごとく振り回して敵と渡り合い十三騎を討ち、七騎に傷を負わせた。しかし、自分も十ヶ所の深傷を受け、この深手ではかえって御大将の足手まといと、千曲の流れに飛び込んで相果てた。対岸でこれを見ていた謙信は、二人の最後を深く嘆いてその場を立ち去りかねていた。 和田喜兵衛はただ一人のお供、謙信の悲嘆にくれる様子を見て、「家臣というものは、主君の御ために討死するは常の習い、二人の忠死を無になされるな。早くこの場を立ち退きなさ」といさめられ。謙信は後ろ髪引かれる思いで、その場を立ち去った。 主従二人が川中島を後に春日山へ、途中近辺の野武士どもが、本街道に大勢たむろしているので二人はやむを得ず保科の山路から高井野(高山村)、山田峠、間山(信州中野)へと進んだがここにはまた、野武士三十人程がたむろして二人の姿を見るや行く手をさえぎり、通すまいと取り囲んだ。謙信は剣の使い手、たちどころに六、七人を切り捨てた。喜兵衛も果敢に戦い、野武士どもは二人の威力に恐れをなして逃げ去った。 この時一人の老人が現れ、「ここから先は私めが道案内をいたしましょう」といって先に立って二人を案内し、高社産、木島と案内し「ここから先は小菅権現の守護がきっとありましょう。追っ手が来たら小菅山に逃げ込んだと欺きなさるがよい。」と言い残して、いずことも無く姿を消した。二人はこの老人こそ小菅権現の化身であろうと、老人の消えた跡に向かって、伏し拝んだ。 さらに歩みを進め千曲川安田の渡し場にさしかかった。船頭の重兵衛に向かって和田喜兵衛は、「自分たちの後から追っ手が来たら小菅山に逃げ込んだと、欺いて欲しい」とよくよく頼んで、向こう岸に渡った。分別のある和田は、下郎という者は、心変わりしやすいものよと、渡し場に戻って水面に張った大綱を切り落とし、船の往来ができぬようにして、春日山城に急いだ。(この安田の渡し場を綱切りの渡し)と言って今でも地名になっている。